このポケットにポケットという概念は入りますか。

成人すると、酒からも煙草からも、守られなくなる。

もう何の毒からも、表面上でも守ってはくれないのだと腑に落ちたとき、生身の人間になった感覚があった。

成人した瞬間だけじゃなくて、いまも生身の私のまわりには酒と煙草が点在しているけども、成人したところで酒も煙草もやらなかったし、もっと現実的に避けたい衣類の色移りと毛玉からは、生まれた時から何の法律も守ってくれない。

去年の頭に我が家へ仲間入りを果たした、上着の話をしたい。

ひとつは紺色のコート、もうひとつはカーキ色のジャンバーである。このふたつが、今までの人生のなかでも滅多に出会ったことのない問題児なのだ。

紺色コートは染め職人、カーキ色ジャンバーは毛玉量産機である。それはもう違法レベルで。

紺色コートが染め職人と呼ばれる由来は、初日に、コートの上からかけた肩掛け白カバンを色移りによって染め上げてしまったことにある。スピード写真並みに素早く鮮やかに出来上がってしまったので、翌日からは紺色のリュックとバディを組まされ現在に至る。

しかしこのコートの問題点は色移りだけではない。一番うえのボタンをはめても二分歩くと勝手に外れて肩からずりおちてしまう性質のため、防寒性が低く、気温を選ぶ。

そして、毛玉量産機のカーキ色ジャンバーだ。初日から毛玉を超スピードで生み出し、朝に毛玉取りで伐採し尽くしても学校へ着く頃には毛玉だらけになるという生命力の強さを見せてきたので、速攻で散歩用となった。

どちらもデザインは可愛いのが非常に惜しい。どれだけ可愛いものも2シーズンくらい着倒したら多少飽きるんだろうが、「これ着てこうかな」と思った段階でなんだかんだ諦める要素が多いまま1年経ってしまったため、特に染め職人は新鮮さがほとんど薄れず、セルフ焦らしが甚だしい。

毛玉量産機は伐採を諦めてから見事な毛玉さんであり、日々近場へ着ていくのに重宝している。

昨日、母とスーパーへ行く際も、このカーキ色ジャンバーを羽織った。羽織って鏡を見て、胸元に小さい切れ目があるのを見つけた。

我が家へ仲間入りして一年。初めてここにポケットがあると気づいた。

「そもそもポケットだろうか」と思うくらい小さかったので、とりあえず指を突っこんでみて、カギが一つ入りそうな大きさだと分かった。

何を入れる用のポケットなんだろう。何が入るんだろうか。

そもそもこのサイズ、概念は、ポケットという概念は入るんだろうか。違法ではないだろうか大丈夫だろうか。

そしてスーパーへ行き、干し柿を買った。干し柿という概念をギリギリまで圧縮して干したくらいのサイズだ。

毛玉のついたジャンバーで小さい干し柿をかじる様子というのは非常にこう、思い描いていた未来予想図とはちがう。しかも全部親のお金である。

でも自分は結局生身の人間だから幸せなんて目の前の一瞬でしか感じられないわけだし、生身の人間だから自己肯定のためには「目の前の一瞬でしか~」なんて言い訳もしてしまうわけだし、干し柿が思いのほかおいしい。

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