昨夜、風呂上りに15秒だけテレビを見た。
なんの番組かは分からないが、渋谷には、ニンニク盛りまくり増しまくりな料理ばかりを提供するレストランがあるそうだ。
へぇ、カップルは行きにくそう、などと彼氏もいないのに考えていたところ、「じつはこの料理、ニンニクを丸々一個以上使っているんです」と、皿に盛った大量のニンニクを披露している映像が流れた。
私は思った。
ニンニクの一個の単位って、まとまりの方だったんだ、と。
ふつう、一個だの一箱だの一袋だのって、もっとケチだ。
人生って「なんだ、ちょっとしか入ってないじゃん。まぁこんなもんか」の積み重ねでできている節がある。
チョコレートや入浴剤なんかも、「思ったより入ってなかった」経験が非常に多い。
シルバニアのすてきなお家だって、家具や人形は別売りだ。
シルバニアを知らない大きなお友達のために説明すると、要するにミニチュアハウスなのだが、お家を買って終了ではない。
実際に家を購入するときのように家財道具を見繕わなければいけない。子ども部屋セットだのリビングセットだのを一箱ずつそろえる必要がある。
実際と大きくちがうのは、自分はサイズ的にその家に住めないので住人も買ってこなければいけないという点だ。
他人のために家も家具も工面してやって、他人がそこで暮らしている様子をただ眺めるという遊びである。私はそれが大好きだったが。
話がそれた。とにかく一個、一箱、一袋という単位は、私たちの期待値をやや下回る絶妙なラインで安定している。そう思っていたのだ。
それがニンニクは。
一個はコレだろうと思っていた物を1ダースくらい集めて一個と呼ぶだと。
私は驚愕した。得体のしれない薄っぺらい感動に包まれた。嬉しかった。
物が何であれ、「思ったよりいっぱい入ってた」ことが嬉しい。
ニンニクを褒めたたえているけれども、ニンニクに特別な思い入れはない。
余談だが、私はシャンプーの仕方が悪かったようで最近まで地肌がくさかったため、臭いのある物を見ると「俺もくさいけどお前もたいがいくさいよ」と言われているような被害妄想がはかどってしまうのでどちらかといえば今ニンニクは見たくない。
頭皮が、地肌がくさいのにくわえて口までくさいとか人間として到達してはいけないレベルな気がするからニンニクは現在の天敵だ。
それでも、「いっぱい入ってる」というポイントは非常に評価が高かった。
ちなみにそのレストランで提供されている美味そうなニンニク料理というのは、一皿が割と少量で高価だった。
……
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