近所の本屋が、すごいラインナップだった。
去年の九月のことだ。
私はその日の午後、自転車を漕いでいた。ついに十年選手となった自転車だ。振動やかすかな凹凸を、一切吸収することなく増幅して伝えてくるという最強の自転車である。
自転車を漕いではいたけれども特に目的があったわけではない。散歩ルートとして開拓したばかりのさびれた商店街を、てれてれと通りがかった。
暇に任せていたので、目についた本屋へ入った。
外も中も地味なクリーム色である。ところどころに、三メートル離れても人工物だと分かる観葉植物が置かれている。ぬるいエアコンの冷風と、頭に残らないBGMが流れていた。
私はひとまず店内を一周して、驚愕した。
ラインナップがすごいのだ。
小中学生向けの問題集と、成人向けのコンテンツしか置いていないのだ。
いくらなんでも取り合わせが両極端ではないだろうか。
残酷なまでに世の中の需要を反映していた。私が驚愕している間にも、店に新たな客は一人も入ってこない。私ひとりだ。
「まじか」という思いは無意識のうちに経営者へ向き、レジを見たのだが、そこにいた人間がどんなだったかは忘れてしまった。たしか特徴のない中年男性だったと思う。
とにかく、その店のクレイジーなラインナップが強烈に頭へ残り、それ以外のことはほとんど抜け落ちた。
これを読んでいるあなたは「さすがに問題集と成人向だけって話盛ってるでしょ」と思うかもしれないが、盛っている。たしかに盛った。しかしそれほど真実から遠いわけではない。
具体的に言えば、雫井脩介の本は一冊もない。東野圭吾の本は一冊しかない。
「『検察側の罪人』最高だったなー、雫井脩介の他の作品あったら買っちゃおうかな」などと浮かれている場合ではなかった。
そして配置だ。本棚に隙間なく並んでいる看護師も女将も未亡人も隣人も大変よく分かった。
大変よく分かったのだが、背表紙ではなく、布の面積が明らかにおかしい状態の表紙を通路に向けて陳列している度胸は圧倒的だった。隣の棚は問題集である。
ある意味かっこよかった。
私は静かに店を出た。
エアコンの冷風は追いかけてくることなく、自動ドアが閉まった。
外は、長い夕焼けがはじまったところだった。
……
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