お年玉が全額15万円の猛者。

昔から、正月はあまり好きな行事ではない。

慣れないことをすると頭痛に襲われる偏頭痛持ちだからである。

家に人が多く集まるのも苦手だ。

しかしお年玉で1万円をもらった。嬉しい。

今年大学を卒業するので人生最後のお年玉だが、「最後」ということには驚くほど感慨がない。それよりもシンプルに「ラッキー」と思ってしまった。これが大人になるということなのだろうか。

そういえばゼミに「お年玉の全額15万円」という猛者がいた。むろん、私にそんな歴史はない。

死ぬほど羨ましいが、考えてみれば、お年玉にそれほど執着した記憶もなかった。

この金をどうしようか、と計算したことがほとんどないのだ。ポチ袋を本棚に差し込んだまま年単位で時間が過ぎたことさえある。

つまらねぇ子どもである。

「金に執着しない」というより「金を使う手段を持っていない」といったほうが正しいかもしれない。

友達がいないのだ。

外に行かないので金を使わない。家でパソコンをながめている。このパソコンは2年半前に8万円で買った。これが人生で一番大きい買い物である。本当に買ってよかったと思っているし、むしろコイツが親友であると言っても過言ではない。

金を使わない、もとい使えないことに定評のある私だったのだが。

最近、コンビニの男性店員に一目惚れしてそこの店の常連客になったので、1万円は非常に現実的なありがたさがあった。毎日行っても2ヶ月ぶんである。

ありがとうございます。

そういえば、親族合計15万円のお年玉をもらった友達は「バンドマンと体の関係を持つお友達」という衝撃的なポジションをもっていた。

その話を世間話と同様のテンションで聞かされたときは「すげぇ」しか出て来なかった。

ポジションの衝撃度は「コンビニ店員に一目惚れした客」の比ではない。

それはお年玉にも差が出るわ、と謎の納得をしてしまうインパクトである。

最近コンビニ通いをしているせいか、道を歩くため、人間を目にする機会が増えた。

今日は最寄り駅で、ウルトラマンのフィギュア二体を抱えている男の子(推定5歳)がいた。その子が突然転んだのだが、その際、勢いよく両手を前に出した。

フィギュアを庇うそぶりを一切見せない、華麗な転び方だった。男の子も二体のウルトラマンも派手に前へ転がり、脳内で「しゅわっち」と三人分の声が聞こえた。

特に印象的だったのは、男の子が転んでから0.1秒で立ち上がったことである。あのウルトラマンはクリスマスプレゼントだろうか。

……彼はいくらお年玉をもらったんだろう。

……

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