恋愛が高度すぎる。

一目惚れしたコンビニの男性店員について考えていると、中学時代の恋心を思い出す。

中学のときは、好きな男子と一言二言話したとか、そういうシーンを擦り切れるまで頭の中で再生しつづけていた。

まさか今になって、それを下回るレベルの恋をするとは思わなかった。

予想以上に深刻だ。私の恋愛観は明らかに中学生で止まっている。ふつう、もっと話したり、場合によってはデートまでこぎつけた上で、脈アリとか脈ナシとか言うんだろう。

世間話すらしたことのないコンビニ店員への一目惚れなど、死んでいる心を叩きつけて心電図がちょっと動くのを「脈アリ」と騒ぐのと同じだ。

ふつうに脈ナシだ。死んでいる。

それくらいの心持ちで常連客をやっていないと、キモがられる程度ならいいが「え、怖」となってしまったら本当に申し訳ない。男性店員にはもちろん、お店の人々にも、私の両親にも申し訳ない。

二秒おきに自分の行動が「常連客」の枠にはまっているか確認しながら行動している。よって進展も発展も後転も前転もほぼなく、よくレジを担当してくれる女性店員と男性店員がフランクになった以外は、粛々と常連客としての日々が過ぎている。

私の恋愛観の成長が止まったのは、中学一年四月からの不登校が大きいだろう。

中学二年の夏休み明けから教室へ通い始めたが、劣等感や「馬鹿にされている」という過剰な自意識から抜けられなかった。

女子とは関わらなければならない機会が多く、強制的に自意識と向き合って改善されたが、男子は苦手なままでいられた。

そのまま学生時代を終えようとしている。すでに大学四年である。

そして今になって、フランクな同級生ではなく、仕事として丁寧に接してくれる男性に惹かれるとは、我ながらクズである。逃げである。

映画『セトウツミ』をご存知だろうか。男子高校生のセトとウツミが、放課後に川辺で無駄話をしつづける話だ。ほぼ全編が無駄話という革新的な映画である。漫才のようでおもしろかった。

そのなかで、セト(弱めのヤンキー)は学校のマドンナ的女子に恋している。まったくの脈ナシなのだが、それでもメアドの交換はすませている。

ここに注目である。

高校生でさえ「メアドの交換はしているけど脈はない」という高度な恋愛をしている。

その映画を観るまで、成人した私の恋愛観は、まあ大体、メアド交換がゴールだと漠然と思っていた。衝撃を受けた。冷静になって自分がヤベエと思った。

メアド交換をしていても、場合によってはデートをしても脈ナシだなんて、恋愛とはそれほど高度なものなのだ。

たしかにそれだけ高度ならば、ツイッターに溢れている恋愛の愚痴も分かる気がする。

恋愛の愚痴なんて、私からすれば、コンピューターがバグってわけのわからない数字配列を吐き出し続けているのと変わらない現象だが、たしかに高度なのだから、訳が分からないのも頷ける。

……

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