最果タヒ『きみはPOP』を読んだ。

最近の私は、何かを読むか、ブログを書くか、卒論を書くか、不貞寝している。

卒論の最大目標は文字数のカサ増しだ。一杯分のコーヒーを五杯分の湯で薄めるような作業である。

「そういう可能性もあると考えられるのではないかと私は考える」

のように、とにかく意味のない言葉で文字数を増やす。

そして「なんか味がするな」程度の湯に牛乳を一滴垂らして「カフェオレでございます」とうやうやしく差し出すような、茶番をこなしている。

とはいえ、ちゃんとした論文を書くだけの熱意も無い。

なまじコツコツやっているから卒論らしい失敗談も生まれていない。時々パソコンの前に座ったままマジで投げ出したくなって不貞寝するいう、死ぬほど地味なエピソードしかない。

不貞寝したあと、最果タヒの短編小説『きみはPOP』を読んだ。

薄い文章を日々量産している私にとって、革命だった。

才能ある女性ミュージシャン「私」と、彼女を後押しする音楽評論家「先生」の話だ。

「私」は、売れるために、歌の方向性を変える。「先生」は、むかしミュージシャンを諦めた人だ。

感情の動きはよく理解できない部分もあった。でも「先生」がすごくよかった。

「先生」は自分が諦めたミュージシャンという道に、「私」を導いていく。

それってどんな気持ちなんだろう、羨ましかったりするんだろうか、なんて思いながら読んでいたのだが、最後のほうに「私」が「先生」を「かわいいひと。」と表現するのがたまらなかった。

私が理想としてる恋愛観ってこれだと思った。「私」が「先生」を恋愛として好きなのかは分からないけども。

「私」が「かわいい」と表現したのは、性別とか外見とか性格じゃなくて、もっと内側の、「先生」が抱えている葛藤だ。才能がないからこその葛藤とコンプレックス。

恋愛って結局、男だから好き、女だから好き、みたいなところがある。異性のフィルターを通してしか相手を見れない。だから替えがきく。元カレと今カレと将来の夫は別人だったりする。

でも、そのフィルターは本能だから消せないけど、なかなか替えがきかない関係もあるはずだ。

そこに上手く言葉をあてはめられずにいたのだが、「かわいい」がドストライクだった。

「先生」の外側や肩書きとは正反対なのだ。高層マンションの最上階に住んでいる社会的強者を「かわいい」と表現するなんて、内面を見ていなかったらそんな言葉は出てこない。

その人間の軸になっているコンプレックスを引きずり出して「かわいい」と表現する残酷さもイイ。

不貞寝から目覚めて慌てながらコーヒーを飲んでいるうちに日が暮れてしまう人は、ぜひ読んでみてほしい。

……

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