嵐と、捨てたもの。

東京駅の街並みが好きだ。

八重洲南口を出て、幹線道路を右にまっすぐ歩くと、数分でれんがっぽい通りに当たる。

それが西洋風な並木道で、とにかく洒落ているのだ。

洋服屋もあって、ショーウィンドウの内側には「地味に見えるけどたぶん高いんだろう」という服が飾られている。私などは冷やかしに入ることすらできない。

我こそは日本の中心地であるという、そのたたずまいが好きだ。

東京駅の街並みを眺めながら、私が嵐というアイドルグループを好きになったのもこういう理由かもしれない、と思った。

いま嵐は、色んな意味でトップである。

嵐がどんな風に人気者になったのか、詳しいところはまったく知らない。調べてみたことはあっても、そんな短い時間でわかるものではなかった。

けれど、努力や才能や、時には運にも恵まれて切り開いてきたんだろうな、とは思った。

切り開けなかった人ばかりだったはずだ。嵐の周りには、コンテンツとして消えねばならなかったものが溢れていたはずだ。アイドルを諦めた同輩はたくさんいるだろう。

しかも「自分たちがトップをとれる」なんて未来は誰にも見えていない。

スポットライトを自分たちに向けさせるまでに、捨てた物は多かったのではないだろうか。たとえば何かしらのプライドとか。

何も知らないけれど、そこにかっこよさを感じる。

何を捨ててきたのか。

大学の教授が「何を得たかより、何を捨てたかを語ったほうが個性が出る」と言っていた。これを聞いたとき、たしかに本当だと思った。

何かを捨てるのは勇気がいる。拘りとか羞恥心とか、なかなか捨てられないものもある。

でもそれを捨てたとき、強くなる。簡単なことでは動じなくなる。

人生の選択は誰でもやっているし、みんな何かを捨ててきている。そのどれも、他人が価値を判断できるものじゃない。

でも、トップに立っている人間が捨てたものを想像すると、なんとなく救われる。

なんでか分からない。

私はつまらないプライドとか羞恥心を抱え続けて生きている人間だから、そういうものを捨てた先に輝いている存在を傍観することが心地いいのかもしれない。

嵐もいつか昔に、何かを捨てて腹をくくってきたんだろう。

それでも理性的な笑顔のなかにすべてをしまって、スポットライトを浴びている彼らが、本当にかっこいいと思う。

東京駅だって、雑然とした風景を削って削って、削ぎ落して、残ったすえの街並みなんだろう。

色んなものを捨ててきた存在が、色んなものを捨てられるほど何かに執着できる存在が、かっこいい。

東京駅の街並みを傍観しながら、人気に裏付けされた歴史ってかっこいいなと思った。

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