嵐の「できるだけ」と私のななみ先生。

嵐の歌を聞きあさっている最近。かなり古いが、2003年のアルバムに「できるだけ」という曲が収録されている。

それを聞いていたところ「だから今はちょっとクラス会は行かない比較されそうで五年くらいいいだろ」という歌詞があった。

クラス会に行けない奴って結構いるんだと謎の共感を覚えた。

というのも私は、ここ数年頻繁に開かれている小学校の同窓会に参加できていない。「できるだけ」の歌詞と同じく、五年くらいいいだろと思っている。

思い返せば小学校六年の秋から、私のテンションは下がり気味になって、今に至るまでずっとネガティブである。中学一年から加齢を恐れている。現代社会の闇である。

生きることがただ楽しいみたいな季節は小学校六年の夏で終わった。

とはいえ小学校生活がアホみたいに楽しかったわけではない。高学年のときはクラスに特定の仲良しがいなかった。

休み時間に誰と何をしていたのかよく覚えていない。隣のクラスに仲の良い子がいたからその子と過ごしていたのか、それともその場しのぎでふらふらしていたのか。

いまいちど考えてみると、担任のななみ先生を追いかけまわしていた気もする。

ななみ先生とは、小学校六年間のうち実に四年間担任を持ってもらった先生であり、私の永遠のあこがれである。いまでも毎年、年賀状と誕生日の手紙を出し続けている。

忙しいのに時々返事をくれる。たいへん申し訳ない。基本的には「ななみ先生に忘れられないこと」が目標であるため、返事がなくとも何とも思わずファンレターのごとく出し続けており、時々返事が来ると申し訳ない気持ちになる。

ななみ先生からすれば、十年以上前の教え子から年に二、三通、特に要件もない手紙が届いているわけだ。迷惑な野郎である。

そもそもなぜ高学年のとき、クラスに友達がいなかったのか。

もとをただせば小学校一年生のとき私は母と一緒に登校していた。それで担任にきつくあたられているうちに「いじめていい奴」となり、全体的に意地の悪い女子が多かった土壌で完全にゲームオーバーしていたのである。

二年生からななみ先生に担任をもってもらい、三年生のはじめに一人で学校へ行けるようになってからはその風潮も薄れてきたものの、意地の悪い奴は変わらず意地が悪いし、そいつらと深く関わり続けるのは危ない。

だから、別に超いじめられてたとかではないが、なんとなく一人でいることが多かった。小学校が楽しい思い出っぽいもので締めくくられているのはななみ先生のおかげである。

で現在大学四年生なわけだが、グループトークの様子を見ているかぎり、同窓会に来ているのは当時いじめる側だった人間ばかりだ。当時仲の良かった子は同窓会には一度も顔を出していないようだ。

ニキビが治るまで行かないとかブログで生計立てるなんて笑われそうで行けないとか言ってるうちに一生ななみ先生にも会えないのかと思うとマジでやってられない。

乾ききった心の数少ないオアシスが嵐。そういう人間は現代日本に百万人くらいいるだろう。

<追記>

すみません。

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