『プーと大人になった僕』を観てきた。

私は複雑な話を理解するのが苦手なのだが、全然大丈夫だった。

いままではプーといえば『くまのプーさん』というファンタジーとして観ていたけれど、実写化で現実世界の話になるとまた印象がちがう。

ハチミツを貪り食う姿がきたねぇという、そのきたねぇ度合も増していたし、プーの純粋さも際立っていた。

この映画の中で、プーはぬいぐるみとして、何年経っても色あせることなくクリストファー・ロビンと同じ世界に存在しつづける。

プーたちが、なんでクリストファーじゃなくてクリストファー・ロビンって正式名称で呼び続けているのかが疑問である。それとも、クリストファー・ロビン・佐藤みたいな感じで苗字はまだ別にあるのだろうか。

まぁそれはいい。

プーのように、他人を無条件に受け入れてくれる存在ってなかなか無い。クリストファー・ロビンはプーが何十年も変わらず味方でいてくれるってだけで、超強いと思った。

だって、自分のなかに変わらずあり続けるものって何だろうと考えてみたら劣等感しか見当たらない。

人間だれしも多かれ少なかれ劣等感を抱えて生きているだろう。

私の場合は「みんなと同じことができない」っていう劣等感が幼稚園の頃からある。低空飛行のまま学生生活を続けてきたが、いよいよ就活から逃げた。

就活から逃げた劣等感のおかげで背水の陣のごとく記事を更新しているし、ブログをやるのはここ数年の夢だったから、劣等感が必ずしも悪いわけじゃない。

でもキツイ。劣等感と向き合っている時間はキツイ。

プーたちは何年経っても、まったく付加価値のないクリストファー・ロビンのありのままを認めて受け入れてくれる。精神年齢は低いけれども、あそこまで広い心をもった人間はいない。

だいたいの人間は、自分も悩みを抱えているくせに、他人の悩みや劣等感は「そんなもの」と心のどこかで否定してしまうものだ。それが態度に滲み出てしまったのをあとから後悔したりもするが、その時にはすっかり嫌われていてどんどん孤独になる。私のことだ。

そして劣等感を吐き出し続けているこのブログ。どうせ誰も見ていないと開き直りつつあったのだが、九月十日の記事をメインに、訪れてくれる人が増えた。

過去記事までさかのぼって読んでくれる人もいて本当にうれしい。ありがとうございます。

そして私はビビっている。

誰にも読んでもらえないと悩んでいたくせに読んでくれる人が増えた途端にビビり、何を書けばいいのか分からなくなるという状況に陥っている。

ビビり倒しながら進んでいきたい。石橋を叩いて叩いて進路も退路も叩き壊してきた私にはこれくらいのビビり加減がちょうどいいかもしれない。

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