クリストファー・ロビンが一番の懸念だった。

プーさんの実写化『プーと大人になった僕』。この映画を知った当初は観に行くつもりなどなかった。

私自身はほぼ記憶がない範囲の話だが、実はこの佐藤、ゼロ歳からプーさんを読み聞かせされDVDシリーズを観つくしたという歴史を持っている。

それはもう、意識の根底に息づいていると言っても過言ではない。

というわけで私は今でも、クリストファー・ロビンを「子ども」ではなく「お兄さん」だと思っている節がある。

それこそ当時の私はIQがプーと同程度だったので、クリストファー・ロビンは全知全能に見えていたし大好きだった。

そんなクリストファー・ロビンが酒に浸り女に狂ってお金大好きなおじさんになっている姿なんて見たくないから、実写映画は絶対に観ない。

と、思っていたのだが、それは全世界の皆さんと製作者サイドも同意見だったようで、クリストファー・ロビンは“仕事に忙殺された大人”になっていた。よかった。いやほんと。

予習のためにDVDをレンタルして『プーさんとふしぎな井戸』『プーさんのおひっこし』を観た。DVDの箱に紹介文が書かれているから、吟味して借りてきた。

真面目にプーさんを観るのは何年ぶりだろうか。少なくとも五年は経っているはずだ。

観てみて、驚いた。

起承転結がほぼないのだ。たとえて言うならジャンケン。大人はだいたい、やりたくない当番を押しつけるためにジャンケンをする。

しかしプーたちは目的もなくひたすらジャンケンをし続けるのだ。誰が勝った誰が負けたというだけで死ぬほど盛り上がって、延々とジャンケンし続けて気づいたら話が終わっている。

完全に、視聴者として置いてけぼりを食らった。

そして私は知った。ティガーが泥に飛び込んでいるのを見て「きたねぇ」という思考が一ミリでも出てきたら、もうプーさんを卒業する時なのだと。

寂しかった。私はもう、プーさんを心の底から楽しめなくなってしまった。べちゃべちゃ蜂蜜を貪るのはプーだから許されるけども『プーと大人になった僕』ではなく『プーが大人になった僕』だったら完全にプー太郎だな、などと記事に使えそうな言い回しを探すつまんない野郎になってしまった。

とはいえ懐かしさはあった。意識の底にプーが生きているので、あぁこういう歩き方をしていたとか、この場面なんか見たことあるような気がするとか、そういう楽しみ方ができた。

もしかしたら、これくらいの寂しさと懐かしさを持っていた方が『プーと大人になった僕』は楽しめるのかもしれない。

私は「自分は大人だ」と胸を張れるほどの社会経験はないが、明らかに、プーと一緒に楽しく遊んでいた頃の自分ではなくなってしまった。

そんな切なさを胸に思いきり号泣してこようと思う。

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