それでもアイドルが好きな理由。

昨日、「今日も熱愛報道と匂わせが終わらない」という記事を書いた。

その内容を一言でまとめれば、つらい、である。

2000文字以上書いてしまったので記事を読み終えるには5分くらいかかるのだが、つまるところ、アイドルの熱愛報道と匂わせが終わらないのがつらいと言っているだけだ。

書き終えて、ツイッターで見苦しく宣伝しながら「なぜそれでもアイドルが好きなんだろう」と考えてみた。

それでもアイドルが好きな理由。

人間は、つねに幸せを求める生き物である。

Wikipedia先生によれば、幸福とは、「心が満ち足りていること」だそうだ。

私の心には、いろんなエリアがある。

空っぽなところもあるし、楽しかった思い出が並んでいる場所もあれば、見たくない黒歴史ばかり積み上げてあるゴミ集積所もあるし、あらかじめ塩が塗り込まれている傷口など、それはそれは多様である。

しかし、それらすべてのエリアを日々把握しているわけではない。

その時夢中になれることがあれば、過去の諸々は完璧に忘れ去って、心がどんな風にエリア分けされていたかも忘れ、幸せで満たされてしまう。頭がわるいとも言える。

つらいことを忘れさせてくれるものは色々あるが、なかでもアイドルの存在は大きい。

私にとってアイドルとは、悩ましい諸々を「速攻で忘れさせてくれる特効薬」である。

数年前の話になるが、夢の国に行ったとき、ミッキーの家で、ミッキーと写真を撮ったことがある。

ミッキーを好きな子と行ったのでファンサは全部その子にくれてやるつもりだったのだが、甘かった。

最後に、私の方へ近づいてきて抱きしめてくれたのである。

それまでミッキーのことは好きでも嫌いでもなく興味さえなかったのだが、ハグをされた瞬間、「これは貢げる」と思った。

隠さずに言えば夢の国から日本国へ帰って来ると同時に財布のひもが締まり特別貢ぐこともなく月日は経った。

しかし、夢の国へ捧げた総額を考えると、やはりあの出来事があるのとないのとでは違うなと思う。

なにより「こんな端まで見てるのか」という驚きが大きかった。一日に何千、何万という人間に手を振っているにも関わらず、端っこの一人一人まで掬いあげていくスキル。

アイドルも同じである。日々大きなステージで歌って踊っているにも関わらず、ファンに向けて様々な表情・仕草を見せて飽きさせない技量。

才能という言葉でごまかされることが多いけれど、人の心を掬い取っていくというのは、努力の結晶だと思う。

ファンの反応や時代の流れを見て、自分の中で統計をとって求められるアイドル像を演じるとか、つらい時でも心から笑っているように見せる工夫とか、きっと想像できないくらい努力しているんだろう。

ファンサというのは、その努力の成果を見せつけられている、という感覚に近い。

私は、自分の、並べたらキリがない努力不足を、圧倒的な人気に裏付けられた努力でもって抉られるのが心地いいのだ。

アイドルを「可愛い」「かっこいい」と見つめてつらい出来事を忘れつつ、無我の境地で努力不足に塩を塗り込みながら、我に返って賢者と化すまでが一連の流れである。

そして午後になってようやく自分が就活から逃げていることを思い出し、「書けよ、さらば開かれん」と書き上げたのがこの記事である。

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