嵐の「夏の名前」歌詞が良い。夏に別れる歌でした。

就活。

これほど殺傷能力の高い二字熟語も珍しい。

私はいま大学4年生だ。就活から逃げているが、まわりはほぼ全員就活するので、そのたぐいの話はしょっちゅう耳に入ってくる。

日本は選択肢が少ない。「大学4年生は就活するべき」と、よく分からない無言のモンスターに決められている節がある。

私はそのモンスターに面と向かって啖呵を切るために就活をやめたのではなく、モンスターが怖くて逃げ出しただけだが、結果的に”型”からは外れてしまった。

良かったのか悪かったのか分からないし、不安は大きい。けれど、ほっとしている自分もいる。

こういう”型”って日常のそこらじゅうに散らばっていて、型の中にいることを思い出すたびに、安心する反面、自分が薄っぺらく感じられるものだ。

嵐の「夏の名前」を聞いた。夏に別れる歌でした。

たとえば、別れの季節は3月。出会いの季節は4月。

波に乗って3月に別れるべくして別れ、4月になれば出会うべくして出会う。

誰が決めたのか分からないが、誰かに決められているような気がする。

一人一人の別れはそれ以上でもそれ以下でもないのに、「3月は別れの季節」と言われると、ひとつの別れの後ろに、大勢の別れが透けて見える。

たくさんの別れが重なって一つ一つの輪郭がぼやけて、「彼女の手編みのマフラー巻いて上京する」みたいな、なんにも心に響かないけど「3月だな」と思えるエピソードができあがる。

私がそれに共感できる経験を持っていないだけかもしれない。

でも、別れって、そんなに綺麗な思い出じゃない。傷が癒えるまでは薄目で眺めるのが精いっぱいなはずだ。

嵐の、「夏の名前」という歌を聞いた。

夏に、女の子から突然別れを切り出された男の子がそれでもバスにのって未来へ向かう、みたいな歌だ(と思う)。

ファンというほどでもないので詳しい考察はできないのだが、夏の別れっていいなと思った。

誰からも別れを後押しされない季節に切り出される別れって、強い意思を感じる。

それと同時に、他者の入り込む隙を与えない。

3月の別れって、胸に花をつけた知らない大人に未来を語られたり、別れや出会いを賞賛されたり、なにかと口を挟まれる。

自分の思い出に他人から勝手に名前をつけられているようで、あんまりいい気分じゃない。

季節が3月から夏になっただけで、先入観が消える。「春は環境が変わる季節だから」とか、「そういうものだよね」っていう感覚が消える。

二人以外の余計なものが無くなって、まっさらになった中で、純粋に二人の別れがある。

出会いの季節でも別れの季節でもなく、強いて言えば”ひと夏の恋”という型になんとなくはめられた若者たちとは画されたところで、ひとつの恋が終わる。

聞いていて、引きこまれた。

私は歌詞とかよく分からずに、耳につく言葉とメロディだけ聞いているような人間なのだが、季節の描写も好きだった。

素朴な歌詞っていいよね。

夏に別れた経験もなければ恋愛経験もないけどね。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする