タイトルは盛った。ドラマ最終話は、原作よりも全体が丸く収まるラストだった。
全体的なシナリオは原作と近いけれども、人間関係の収まり方はかなり違った。
特に違ったのは、例によって渡海先生だ。
以前、原作とドラマとで渡海先生のキャラクターがずいぶん違うと語った。
原作は(ドラマに比べたら)感情表現が豊かなのだ。それが、最終話まで感情を表に出さなかったドラマ版の渡海先生が、最後あんな顔をして手術室で泣くとは思わなかった。
渡海先生が泣いたときの表情が頭から離れない。
「さらば渡海一郎」と佐伯教授がブラックペアンを体の中へ入れたとき、渡海先生は子どもみたいな顔をした。
渡海先生の涙しか覚えてない。
「こんな顔するんだ」と、物語の感動よりも前に、単純にその、空っぽな表情に驚いた。
渡海先生が毎日レントゲン写真を見ては確かめて膨らませてきた「自分の中の事実」が、佐伯教授の話す真実によって強制的に体から引きずりだされたわけだが、引きずりだされた後、たぶん体の中に何も残らなかったんだろう。
現在の渡海先生は、渡海一郎が医者だった頃の回想シーンとは、明らかに違う人格になっている。恨みは、言葉や仕草や視線のひとつひとつにまで染みついていたはずだ。
人格の基盤にまでなってしまった「自分の中の事実」が、自分の中にしか存在しない虚構であったと気づいた時、渡海先生は空っぽになったんだろう。
じゃあ、私たちも、ああいう状況になったら、あんな風に空っぽな顔をするんだろうか。
たぶん違う。
空っぽの体からただ流れてくるみたいな涙は、現実世界だとリアリティがない。
人間は割と打算的に生きているから、あそこまで他意のない涙って、生きていてなかなか見る機会も流す機会もない。
もっと「ここで泣いたら後で面倒くさいな」とか、「でも悔しいから泣けてくる」とか、「あいつに泣くところなんて見せたくなかったのに」とか、泣きながらも結構いろんなことを考えるはずだ。
そういう意味では、原作の方がキャラクターに人間味があるから、ラストも、ドラマよりは人間味のある終わり方だった。
生きて動く人間を繊細に描く現実味が、小説の良さなんだよなぁ、と思うが。
悔しさとか、今まで恨みを募らせてきた日々に対する執着とか、そういう人間的な側面がすべて削り落とされているドラマ版の渡海先生じゃなければ、あの涙は流せなかった。
あの涙こそ、ドラマの良さだよなぁと思う。人間味のない、「悪魔」なドラマ版渡海先生を象徴していたんじゃないだろうか。
渡海先生は、血のにじむ努力の上で東城大の外科医になって、日々、恨みを果たすためだけに生きて来た人間だ。
それが、真実を話され、自分の中身すべてを引きずり出されても、佐伯教授を尊敬するとまで言い残して外科医を続ける。
無垢と言ってもいいかもしれない。
あの状況で、今後もただ人を救うことを選び取れる「非現実的な存在」に、「悪魔」という表現を当てはめるのが、ドラマ版渡海先生だ。
キャラクターの描き分けが小説よりもはっきりしているドラマだからこそ、あそこまで渡海先生は空っぽになれたんだろうし、何の混じりけもない涙を流せたんだろう。
続編無いほうが良いパターンのドラマだってわかるけど続編。
続編をください。
ちなみに原作の方の続編『ブレイズメス1990』は半月ほど前に読み始めたんだけど、また魅力的な外科医が登場するらしいんだけど、渡海先生が登場しないショックで読み進められないでいる。
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関事連記
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