中堅私大でいい成績を取るならその分有名大学に行った方が良いんじゃないか。
私もそう思う。が、受験勉強にくじけた。
そもそもなぜいい大学、いい成績にこだわるかというと、自分に自信がないからだ。
自信がない理由は、分からない。小さい頃いじめられたからとか、中学で不登校になったからとか、要因はいくつか思い当たるが確信はない。
しかしありのままの自分に自信を持てない人間は、なんらかの手段でもって他人に認めてもらわないとやっていけない。
私にとって手っ取り早いのが成績だった。
先生に褒められたい、いい成績を取りたい、友達よりも成績で優位に立ちたい、などなど、私の場合は自己承認欲求を満たしたいだけである。
成績にアイデンティティを据えることにしたのだが、大学受験に失敗して「中堅私大」という肩書を手にしたとき、私の人生はある意味終わった。
「こんな大学」で良い成績さえ取れないのはもっと許せなかったので、努力はしたしGPAは3.6になった。ゲーム感覚で楽しかったのも本当だが、劣等感のかたまりだったのもまた事実だ。
が、いい成績をとっても、「こんなもの」という感覚は消えない。
よその大学を見渡せば私より頭のいい人間なんかごまんといる。それでも学内では優等生扱いなので、多少は自己承認欲求が満たされた。
そんな中、大学3年(去年)の夏のことだ。
学校にいる就活サポーターが「成績の良さをそれほどアピールしてもねぇ……」という態度だった時に私の中のアイデンティティは砕け散った。
そもそもが他人と協調できない、みんなで何かすることが苦手である私にとって、アピールできるのは成績くらいしかない。
サークルに所属してアルバイトをしていた人間の方が有利なんだと知った。
誰かに認められるために頑張ってきた部分が大きかったし、これ以上この路線で頑張り続けるのはキツイなと。
で、たとえば中堅私大卒であるとか、たとえばコミュニケーション力が低めであるとか、たとえば女であるとか、そういう、外側を評価する風潮から逃れたくてブログをはじめた。
でも(大して努力しないから)まったく稼げない。
ほかにも収入が必要になる。ブログと並行してフリーターになろうかと思った。
それで数か月前にアルバイトをはじめた私だったが、若い女を、ピエロを自ら演じている気がして、上司のボディタッチが苦しくなってやめた。
社会に出たいならこれくらい我慢しなければならないのではないか、と思った。
けれど、我慢して我慢して我慢した先に、何もないことを知ってしまったばかりだ。
本当に何もないのだ。世間から見たら私なんて塵ほどでもないのだなと知った。小学校から優等生で勉強真面目にやってましたなんて、確かに他人にとってはどうでもいい。
他者は何も言ってくれないので、自分がやってきた勉強には、自分で意味を見出すしかなかった。
仮に、私がこれから出来る限りの可愛い女を演じて、女を武器にすることの弊害をかわしながら生きたとして、そこは本来の自分のフィールドではない気がする。
「女を武器にする」という目標への、闘争心がまったくないからだ。
得意分野ではないような気がする。
戦えるフィールドはどこだろう。
今はブログだけをやっている。これが結果にならなくても、今これを書いている時間に、将来の私は意味を見出せるような気がする。
でも自信はない。
お金にもなっていない。
こういう風に考えているとひたすらに自分がゴミだと思えてくるので、こういう時は甘いものを食べて散歩に行くとちょっと気分が良くなる。
悩んだ時には散歩がオススメだ。