「まぁまぁ……決して可愛くはない」
ホームで電車を待っていたら、私の前に男がまわりこんでそう言った。
うしろでは数人の男たちが笑っている気配がした。
もう四年前のことになるが、思い出すと微妙に腹が立つ。
心の中では好きなだけ値踏みしてもらって構わないが、まさか面と向かって言われるとは思わなかった。
ただ立っていただけで突然見世物にされたのだ。恐怖とか屈辱とか怒りとかいろんな感情が生まれたが、それを超えて出てきたのは驚愕だった。
なぜか。私に「決して可愛くはない」と言った男の顔が、前代未聞の不細工だったのだ。
おかげで傷が深くならずに済んだ。
「決して可愛くはない」
言われた私は何も言い返さず、後ろで笑っている男たちの顔を確認することもなく、もうすぐ電車が来るというタイミングでその場を去った。
同じ車両に乗り合わせたら危険かなと冷静な判断をした過去の私を褒めたい。
さて、ここからが本題だ。
私がこの男に言い返さなかったのは、小心者ゆえの危機感と、過去の教訓のおかげだ。
私は元いじめられっ子である。
元とはいえ体質はそんなに変わっていないと思うので、たまたま今いじめられていないだけで、次いつ現いじめられっ子になるか分からないが。
小学校低学年のうちは精神的に大人っぽい子たちにやられていたので、何を言い返しても敵わなかった。
腹が立って「なんでそういうこと言うの」と言い返すと「(声の)ボリューム下げてよ」と言われるのだ。論点とか関係ない。
言い合いを斜めから切り上げて来るこの感じ、背後から膝かっくんするような技を小学校低学年のうちから使えるなんて素直にすごい。
そんな環境で成長した結果、揚げ足を取られないためには「言い返さない」「無意味な動きをしない」を徹底するようになった。
喋ると言い返されるし、動くと真似されて茶化される。
想像してみてほしい。
たとえばあなたが嫌いなやつに「ばーか」と言われたらどうするだろうか。
自分よりガタイ良い奴だったら黙るとか、そういう打算も大切だ。人間は日々打算によって生かされている。
ここで、膝かっくん技を受けていた私からのアドバイスである。
腹が立ったときに大切なのは「何をしたら相手にダメージを与えられるか」ではない。
「自分だったら、どうされたらダメージが大きいか」である。
怒るにしても、泣くにしても、言い返すにしても、ひとくくりに「反応」だ。
いじめっ子は反応を見るためにいじめているのである。私も数年にわたって、いじめっ子の欲しい反応をそのまま返していたと思う。
もしも、無反応だったらどうだろうか。
相手はあなたの反応を見るために「ばーか」と言ったのに、あなたが何事もなかったかのように歩き出したらちょっとびっくりするのではないだろうか。
ここで大事なのは、睨むとか、鼻で笑ってやるとか、一言なにか言い捨てるとか、そういうのも一切やらないことだ。
「え?聞こえてないの?」と思わせるくらいのリアクションを徹底しよう。
結局人間にとって一番精神的にクるリアクションは、無視である。
私はグループの中で無視されるというのも経験があるのだが、これがまじで精神にくる。
本来はひとのことを無視するのはいけない。道徳ではそうなっている。
が。
「ばーか」と言われたときにへらへらしてやる義理はないし、泣いたり怒ったりするのはあなたのエネルギーがもったいない。
さて。ここまではあくまでも、建前の話だ。
実際はどうか。
大事なのは相手に与えるダメージとかじゃない。打算である。
人間というのは物理的な力と社会的な力の両輪で動いている。私が腹立つことを言われたときに無視できるのは、物理的な力と社会的な力が私と同レベルの場合だけだ。
明らかに強そうなやつに何か言われたら軽く会釈して場合によっては「すみません」と言いながら去るようにしている。
正しい対処法は知らない。教えてほしい。