だから幸せになれない

あなたは、自分がいま幸せだと思えるだろうか。

私は「考えてみたこともなかったけど考えてみたら幸せだな」と言えるような人を凡人だと馬鹿にしてきた。

私は幸せではないけれど、お前たちみたいな低レベルで満足している凡人とは違う、私は凡人ではないと信じてきた。

お前たちより頭がいい、お前たちよりセンスがいい、とにかくお前たちと一緒ではないと、自分が非凡であることにこだわってきた。

だから幸せになれない

でも、なぜそこまで凡か非凡かにこだわるんだろうと思ったら、気づいた。

うらやましいのだ。

人生の勝ち組って結局、顔とか頭脳とかセンスとか、肩書きとかお金とかそういうものじゃない。

たしかにそういうものはあった方が良いけれど、結局は、いま目の前にあるコーヒーを「めっちゃうまい」って飲める奴が勝ち組なんだと思う。

人生なんか一瞬一瞬の積み重ねなんだから、目の前のコーヒーを渋い顔で飲みながら将来の不幸を嘆いてる奴は、一生幸せになれないんだろう。

だから私は何をしても、「いま幸せだ」と本心で言える奴に、一生勝てない。

今のままだと何を手に入れても幸せになれない。

そこまで分かっていても、じゃあ目の前のコーヒーをどう思うかと言われれば、とても妥当な味をしている。

幸せになれないなら、非凡になりたい。

非凡であるがゆえに幸せを感じられないなら、自分を許せる気がするのだ。

そんなこと真剣に考えている時点でド凡人だけれど、自分が不幸な凡人だなんて認めたくない。

だって、非凡に憧れ続けながら自分を不幸だと思っている凡人なんて、ただの馬鹿じゃないか。

いいからお前は目の前のコーヒーをうまいと言ってみろよ、という話である。

今でこそ、私のこの性質は一生変わらない、とか悲劇のヒロイン顔で思っているが、イケメンに「君はそのままでいいよ」とか言われたらあっさり「幸せ!」って言い出すのも目に見えているから、つくづく自分を好きになれない。

ちなみに私は、コーヒーのうまさは先入観で決まると思っている。

水を出されて「透明度100%の超高級コーヒーです」と言われたら、信じる。

下手すると、「確かに深みがあるかもしれない」とか言い出す。

だからいま私が飲んでいるものだって、コーヒーじゃないかもしれない。これがコーヒーだと思えるうちに幸せを見つけておかないと、エセ哲学者ができあがってしまう。

凡人がコーヒーを眺めながら「これはコーヒーなんだろうか」と悩みだしたら、もうそれはただの馬鹿ではない。

ブラックホールだ。

だから私は、いろんな意味で自分を信じられない。

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