去年のインターンシップを振り返ってみる

私が不登校になったのは9年前、中学入学と同時だった。学校の先生の怒鳴り声が怖かったのだ。

不登校になり、引きこもりになった。

将来のすべての可能性が閉ざされた気がした。

そして大学4年になった今、私はフリーターになろうとしている。

昔は漠然とエリートになりたかったし、勝ち組と言われる人種になりたかった。

なぜか。立派な肩書きがないと、幸せにはなれないと思っていたからだ。いまもその気持ちは捨てきれない。

エリートになれなくても、勝ち組と言われる人種とは程遠くても、それでも幸せになるためには、何が必要なんだろう。

いまもそのために何が必要なのか、見つけられない。

未来がよく見えなくなった最近、私は四六時中、過去を振り返っている。

去年のインターンシップを振り返ってみる

そして、9年前の自分に「大丈夫だよ」と声をかける。現状、私はまったく「大丈夫」ではないのだが、過去の自分は慰めなければならないと、義務感みたいなものを感じている。

あなたは不登校でいいんだよ、今の私は元気にやってるし不登校だったことを後悔してないよと過去の自分を励ましている。

私が2週間のインターンシップをなんとか乗り越えたのも、過去の自分がいたからだ。

去年の夏、2週間全10日のインターンシップの、6日目のことだ。

模擬的な圧迫面接をされた。威圧的な大人を前にして、何か言おうと息を吸ったとき、空気が乾いた粘膜を通る短い音がして、そのあと、粘膜が張り付くのを感じた。

すごくよく覚えている。息を吸ったあと自分が何をしゃべったのかは覚えていないが、息を吸った感触ははっきり覚えている。

帰り道、バスの中で涙が止まらなくなった。

情けなくて、悔しくて、腹が立って、逃げたかった。

もうやめたいと思った。

実際、インターンシップで何かを学んでいる感覚はなかったし、それの先に何かがあるとも思えなかったのだ。

ただ、朝早く大人と同じ格好をして大人と同じように会社に行って、会社での大人たちの生きざまを眺めているだけだ。

そこに自分を重ねて、憧れを感じることはできなかった。

ひとつひとつ色んなことを諦めて、受け入れて、老いていくような気がした。

私も数年あとには、こんな風に学生に偉そうな顔をしているのだろうかと思うと、みじめだった。

なのに、早くそちら側に行きたいとも思った。

あんな大人になりたい。あの枠に収まりたいと思った。収まり続けてきたであろう大人が、羨ましかった。

一緒にインターンを受けている他の学生はどう思っているんだろう。大人に威圧的にされても、こんなに心を痛めないのだろうか。

いや、傷ついているはずだ。

じゃあ、逃げたいと思うのは私が甘ったれなんだろうな。

つくづく、自分が嫌いになった。

そこまで分かっていても、やっぱり逃げたかった。

やめてしまいたかったけれど、私は過去の自分のために、途中でやめるわけにはいかなかった。

それでも、やめるわけにはいかないと思うのと同じくらい逃げたくて、腹を括ることもできなかった。

とにかく早く寝ようと夜の10時には眠って、翌朝6時に起きた時には、感情の抑揚が小さくなっていた。

瞼の腫れた、むくんだ顔を見ても、冷静に「すげぇ顔だな」と思えた。そのままファンデーションだけ塗って家を出た。

そのあとは、明日より未来のことまで腹を括ることはできなかったから、「今日は行こう」を4回繰り返して、2週間が終わった。

私ひとりでは逃げていたと思う。

私は、私の後ろでいつも泣いている、8年前の自分を守りたかった。別の言い方をすれば、「8年前にはできなかったことをやりきった」という自信がほしかった。

就職活動をするにしても別の道を選ぶにしても、今までよりも険しい道になると感じていたからだ。

今まで逃げ続けて来たという自覚があるからこそ、「大丈夫だよ、8年後の私は乗り越えられるよ」と言いたかった。

乗り越えた後なら、前向きに「就活から逃げる道」を選べるんじゃないかと思えた。

でも結局、私にとってフリーターになるというのは、自分がダメな人間だと認め続ける作業だ。

お金は最低限になる。地位も名誉も手に入らない。今まで自分が馬鹿にしてきた人種だ。

それでも、就活で圧迫されながら社会人になるよりは、心が死なない気がする。

だから、フリーターでいい。

これから、この選択を多少は後悔し続けながら生きていくんだと思う。

後悔し続ける自分も受け入れられるようになったら、少しは楽になるんだろうか。

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