斉藤が国立大学に合格した日、佐藤は。

高校3年の秋のことだ。

友達の斉藤が国立大学に合格した日、「よく分からないけど涙が出てくる」という現象が起きた。

斉藤が国立大学に合格した日、佐藤は何を思ったか。

私は高校の時、そこそこ頭がよかった。

先生からは国立大学に行くよう言われていたし、自分でも「私は国立大学に行くんだろうな」と思っていた。

が、しかし。

受験勉強にきちんと取り組めなかった。

「人生には勝ち組と負け組の二種類がいる。国立大学を出てエリートの道を進む者と、そうでない者だ」

みたいな刷り込みと向き合いすぎて受験というカテゴリそのものが嫌になってしまったのか、もしくはもともと怠け者の性分だったのか、よく分からないけれど、まともに受験勉強をできなかった。

問題集を見るだけで心臓にじんましんが出てくる気分だった。

一方、友達の斉藤は、国立大学を目指してこつこつと勉強を続けていた。

斉藤は高校1年の頃同じクラスだった。1年の頃の斉藤は一回も私の成績を抜かせず、2年からは別々のクラスだった。

しかし地道に勉強していた斉藤は、3年の夏頃には、すでに私よりずっと成績がよかった。

私はどういう風に斉藤と付き合えばいいか分からなくなっていた。

純粋に羨ましい気持ちと、自分は受験勉強から逃げているという後ろめたさ、そして昔は私のほうが成績がよかったのにというみじめさで、斉藤とはあまり関わらないようにしていた。

「斉藤だけ勝ち組になってほしくない」「落ちればいいのに」と思ってしまう自分もいた。そんな低レベルな自分も嫌だった。

自分が思い描いていた未来から毎日少しずつ遠ざかっていくのを感じ、それでも受験勉強に向き合うことはできず、泣きながら過ごしていた。

秋になり、斉藤は国立大学を推薦で受験した。

それから半月も経たず「受かった」とメールが来た。

そのとき私は学校の自習室にいた。不思議とマイナスな気持ちはなかった。

もっと悔しくなったり惨めになったりするものだと思っていたが、ただただほっとしている自分がいた。

ああ、終わったんだなと思った。

二人とも勉強に重きを置いてきたし、定期テストごとに張り合ってきた。

もう斉藤と張り合うことはない、私の高校生活は実質的に終わったんだなという感覚だった。

終わったんだなと思ったら、涙が出てきた。

先生に合格したことを報告するため、斉藤が学校にやって来た。私は昇降口で出迎えた。

おめでとうと素直に言えた自分を冷静に観察している自分もいて、プライドすべてを捨てていたわけではなかったんだなと、またほっとした。

これから負け組の道を進むんだとは思いたくなかったけれど、日向を歩いている斉藤がきらきらして見えるほど羨ましかったのも事実だ。

あれから3年半が経った。

今はといえば、無力感で涙が出てくることがある。

今でも斉藤に対してコンプレックスはある。

斉藤はこれからバリバリとキャリアを積んでいくつもりらしいし、私はといえばフリーターになる。

3年前と違うところを挙げるとしたら、自分を受け入れなければならないと冷静に考えられるようになったことくらいだ。

人の感情はたいして成長しないらしい。

自分を認めて自分が決めた道をしっかり歩くというのは、思っているよりも、ずっと難しい。

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