何もできないのにアルバイトの時給が発生している

アルバイトの時給は、労働の対価だ。

でも、最初に思っていたのとは少し違った。

アルバイトを始めてから、「仕事をしてお金をもらう」という感覚が、いままで考えていたものと大きく違うことに気づいた。

何もできないのにアルバイトの時給が発生している

たとえばパン屋さんは、パンを売るかわりにお金をもらう。

それと同じように、アルバイトとは、私の中にある時間や知識を少しずつ切り売りしてお金をもらうことだと思っていた。

でも実際、私の中に、売れるようなものはなかった。

売るためのパンはすでに私の中にあるものだと思っていたが、いざアルバイトをはじめると、日々パンを焼いていることに気づいたのだ。

レジの打ち方、接客の仕方、敬語の使い方、すべての知識はほぼゼロからスタートしたし、一か月半経った今も、あまり成長した感じはしない。

自分の中に売れるパンがいっぱい並んでいると錯覚していたのは、まず間違いなく、家の中で引きこもっていたからだ。

狭い世界に長い間いると、少ない知識と経験で何でも推し量ろうとするクセがついてしまう。

売れるパンもないのに、パンを焼いている間にどんどん時給が発生しているのは、不思議な感覚だ。

すこし余裕ができてまわりを見てみれば、先輩も「この仕事はやり方が分からない」と言っていたりする。

私だけじゃなくて、みんな日々パンを焼いて、売れるものを増やしているらしい。

自分はすでに完成した大人だと思っていたし、そうでなければならないと思っていたけれど、まだ全然子どもらしい。

逆に、完成されていない自分を受け入れることが、大人になることなのかもしれない。

アルバイトをはじめてから、自分を許さなければならないシーンが増えた。

あれもできない、これもできない自分を、許さなければやっていけない。

それに、大人が求める若さの虚像に易々と応える自分を許さなければいけないし、楽しくなくても笑顔でいる自分を許さなければいけない。

つらいな、と思う。

現代日本で有利な人種なんてある程度決まっている。自分はそこからすでに外れていて、これからもどんどん遠のいていくのを、受け入れなければいけない。

ある意味、自分を責め続けるのは楽だ。

受け入れて前に進む方が難しい。

何もない自分と、これからただパンを焼きながら老いていく自分を、楽に受け入れられる自分になりたいな、と思う。

そして今の自分を「あの頃は若かったな」と笑い飛ばせるような、型にはまった大人になってみたい。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする