「つらくても頑張れ」に、○○は含まれない

ブログをはじめて、気づいたことがあります。

あくまでも個人的な意見ですが、そういう考え方もあるんだなぁと読んでほしいです。

「つらくても頑張れ」とか「若いうちに苦労しろ」って言葉、ありますよね。

この言葉、使い方によっては人を追い詰める言葉になると思います。

「つらくても頑張れ」に、恐怖心は含まれない

私が経験した3つの「つらい」

私自身の話をすると、中学1年の4月から1年ちょっと不登校で、中学を卒業するまで学校に通うことがつらかったです。

その時は、「みんなつらいけど頑張って学校に来てるんだよ」という言葉に傷つけられました。

で、色々ありながらも中学の2年からは学校に通い、高校・大学へ進学し、現在は大学3年生です。

今私はアフィリエイト界隈の端っこにいるのですが、素人にも調子の良い日と悪い日があるらしく、題材が思い浮かばない時は記事を書くのがつらいです。

大学も、嫌な先生がいるので学校に行くのがつらいことはあります。

さて、中学時代、ブログ、大学と、3つの「つらい」を並べてみました。

言葉にするとみんなおなじ「つらい」なんですが、実際はまったく違います。

結論から言うと、「つらい」の中に恐怖心が混ざっている場合は、黄色信号だと思ってほしいです。

そのまま突き進んでしまうと、心が疲弊して、悪い方向へ進んでしまいます。

「つらい」には、種類がある

「みんなつらいんだよ」という言葉がありますが、つらさには、種類があります。

面倒くさいのも、眠いのも、自分の実力のなさを感じるのも、恐怖も、ぜんぶ「つらい」に言い換えることができます。

いま何かをつらいと思っている人は、自分の「つらさ」はどこから来るのか、考えてみてください。

単純に面倒くささからくる「つらさ」で思い悩む人はいません。恐怖心や嫌悪感が混ざっていない「つらさ」は、思い悩むより行動しちゃったほうが楽だからです。

私の場合は、大きな声や集団で行動することが苦手なので、集団行動の圧力が強い中学校は苦手でした。

ブログや大学は、上手くいかないことや面倒くさいことはありますが、大したことはないです。前向きな気持ちのほうが強いです。

「中学行くのつらい」=怖い

「ブログ更新するのつらい・大学行くのつらい」=眠い、面倒くさい、だるい

と、同じ「つらい」ですが、まったく別物なんです。

「みんな頑張って学校に来てる」は、「みんな(眠かったり宿題面倒だったりするけど)頑張って学校に来てる」という意味です。

「みんな(学校や先生という存在が怖くて毎朝泣いてるけど)頑張って学校に来てる」ではないですよね。

同じ「つらい」という言葉で言い表せる感情ですが、まったく違うものです。

「みんなつらいんだよ」は、「自分が本当につらいことすら認めてもらえない」と相手を傷つける言葉になります。

得意分野と不得意分野

学校に行くとか、勉強をするとか、「努力するべき」と言われている分野はいくつもあります。

それは社会が勝手に押し付けてくるものであって、その分野で努力できないからと言って、怠け者というわけではありません。

人はそれぞれ得意な分野、不得意な分野があります。

不得意分野がゼロの人はいないはずです。たとえばお化け屋敷が苦手な人はたくさんいますが、お化け屋敷に行けなくても特に困らないので、日常の中で不得意分野が目立たないだけです。

誰しも、不得意な分野で戦い続けるのはきびしいです。

不得意な分野で戦えないのは、怠け者だからではありません。不得意だからです。

怠け者とは、得意分野でも努力できない人のことです。

「つらくても頑張れ」は、得意分野でのみ使っていい言葉だと思います。

気楽に「みんなつらい」「みんな頑張ってる」って言う人の言葉は信じなくていいと思います。

その人はよっぽど幸せな人生を送って来たか、他人の気持ちが考えられないかのどちらかでしょう。

逃げ道を探す

つらくて思い悩んでいる人は、今いる場所が自分にとって不得意な分野である可能性も考えてみてください。

そして、現実的でなくていいので逃げ道を探してください。

たとえば大学に行くのがつらい人は、

「現実的じゃないけど、大学を中退するという逃げ道もあるな」

「現実的じゃないけど、休学するという逃げ道もあるな」

という風に。

逃げ道を探したら、「なぜ逃げ道が現実的じゃないのか」を考えてみてください。

恐怖や不安にとらわれているときは、根拠のない理由(例:大学を休学・中退するのはいけないことだからetc)に縛られていることがあります。

感情は横に置いて、今の状況のまま進むことと、逃げ道へ向かうことと、どっちが自分にとってより良い選択かを考えてみてください。

理屈で考えれば考えるほど、逃げ道は意外と現実的なものだったりするのです。

冷静に考えて、「とりあえず今は自分を休ませた方がいい」と休学の手続きをするなら、それは賢い選択です。

自分が疲弊していることを冷静に分析して、完璧にエネルギー切れになるまえに、「休む」という賢明な判断をしたのです。

ここまで考えて、思い悩むこと・逃げることが面倒になったら、それはそれでオッケーです。またつらくなったら考えればいいです。

伝えたいこと

私は中学のとき、「学校に行かなければならない」という先入観にとらわれていました。

根拠のない「○○するべき」に追い詰められて、不登校でいる間、毎日何をしてもつらかったです。

無理矢理乗り越えて、結果的には不登校を克服しましたが、違う方法もあったなと思います。フリースクールに行くとか、通信制の高校を選ぶとか、いくらでも道はあったのかな、と思います。

また、通学を再開するにしても「私には不登校児のレッテルが貼られている」と悲観することが無かったのではないかな、と思います。

私は、今まで自分がしてきた選択に後悔している訳ではありません。

でも、中学の時、尋常じゃないくらいつらかったのは確かですし、あの時のつらさが、必ずしも自分にとってプラスには働いてはいないな、と思います。

不得意な分野と戦い続けたことで、不必要に自分で自分を傷つけたなと思います。

何かが本当につらい人に、逃げること、不得意な分野から逃げて自分の得意分野を探すことは悪いことではないと知ってほしくて、この記事を書きました。

とはいえ、私も逃げられずにずるずると今まで来てしまったので、あまり偉そうなことは言えません。みんなが通っている道から外れるのって、難しいですよね。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

この記事が、誰かの心に届いたら嬉しいです。

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