小学校の時、やんわり意地悪されていた。
クラス全員に無視されるとかは全くないが、幼稚園から小学校低学年まで、特定の女の子たちに、放課後に誘われては仲間外しにされるという生活を送っていた。
小さい時にいじめていい子、馬鹿にしていい子のポジションにおさまってしまうと、なかなか抜けられない。
人数の少ない小学校だったからそのポジションが大きく変わることはなく、一部のいじめっ子から小ばかにされながら大きくなった。
で、成人してどうなったかというと、基本的には人間不信だ。他人と比べてどうかは分からないが、自覚的には、自分のことを好きになれない部分や苦手意識の強い分野が多い。
今も、昔私をいじめていた人に、どこかで憧れを持ち続けている。
いじめられた子はいじめっ子を憎むイメージがあるが、私の場合は、いじめっ子に対する憧れを捨てきれない。
「私の方がすごいのよ」
「あなたは私の足元にも及ばないグズなのよ」
という感覚を幼稚園の頃から刷り込まれているから、もう簡単には変えられないんだろうか。
私が今できることを数えたり、彼女より勝っているものを数えることはできるが、理屈とは関係なく、憧れを消し去ることはできない。
小学生のときの彼女は当時の私にとって本当にキラキラしていたんだ。
彼女の笑顔は、胸が苦しくなるほど輝いていた。どれだけ意地悪くても、彼女になりたいと憧れていた。
彼女の着ていた服や、持っていた蛍光ペンや、キーホルダーや、ランドセルの色まで、ぜんぶ羨ましかった。
いじめっ子が美容整形してた
この間地元でいじめっ子を見かけたのだが、目元が子供時代と全く変わっていた。
一重だったのが目頭の形も変わってばっちり二重になっていたのだ。
それを見て、虚無感をおぼえた。
目元をすこし整形しても、ちょっと外見の印象が変わるだけで、根本的な部分は何も変わらない。そんなことは分かっている。
人の大事な部分は見た目じゃない。
ただ、「私すごいのよ」「私可愛いでしょ」タイプだったいじめっ子が、(おそらく)自分の容姿に悩んで向き合って、整形まで思い切ったことに驚いた。
自分大好きで、わがままで、悪知恵が働いて、大人に対してはぶりっ子で、二度と関わりたくないけど嫌いにもなれなかったあの子は、もうずいぶん前から私の中にしかいなかったのか。
私だけがとらわれていたのか。
私は、また彼女に置いていかれたような気分になった。
いじめられっ子へ
いじめっ子は、小学生の時は絶対的な権力を持っているかもしれないが、それはずっとは続かない。
5年後、10年後、遠いようで意外とすぐやって来る未来では、まったく立場が変わっている可能性が高い。
天罰とか自業自得とかそんなことを言うつもりはない。
ただ、いじめっ子もいじめられっ子も本当にただの一人の人間で、時間がたって環境が変われば、自然に立ち位置も変わっていく。
大人になるといじめっ子のことを、離れたところから、小学生の時よりは広い視野で見ることができる。
いじめっ子への憧れを捨てきることができなくても、頭のどこか冷静な部分で、「あの子、実は全然大したことなかったんだな」と思う時が来る。
サンタさんは実はお父さんだったとか、好きだったキャラクターの着ぐるみにおじさんが入ってたとか、そういうのに近いショックがある。
私は、ショックだった。
あんなに偉そうにして子供時代の私を振り回したんだから、せめてずっと、偉そうでいてほしかった。私は彼女に、ずっと、私の憧れであってほしかったんだと思う。
いじめられっ子の心には消えない傷が残るが、その傷が治ってしまうのも寂しい、というのは、私がたいしたいじめを受けていないから言えるのだろうか。